大東流合気柔術宗家・武田惣角さんと、柔道創始者・嘉納治五郎さんの問答のくだり。柔術と柔道の第一人者のお二方、とても豪華な対談ですね。
「つまり、位を取るというのは、常に思うがままに戦うということだ。相手の思惑にはまっていけないのだ」
「そうだ。己が何をすべきか考えれば、相手に惑わされることはなくなる。迷うのが一番いけない」
「それはわかる。だが、私とて、組み合うときには迷ってはいない。だが、技は決まらないのだ」
「技の掛けどころが違っているのだ」
「掛けどころ?そんなことはないはずだ。私は習ったとおりの箇所に足を掛け、習ったとおりの向きに引いているはずだ」
「掛けどころというのは、どこに掛けるかということではない。いつ掛けるかということだ」
武術の極意は、相手の土俵で戦わないこと、というお話を聞いたことがあります。腕力に腕力で対抗しない。体格に体格、速さに速さを競わない。自分が有利なところで勝利するために、自分が思い通りに動いて技を仕掛けるというお話でした。
例えば…
「加速の威力」に対して「等速の圧力」で、
相手の「間合い(距離)」を殺す。
「スピードの速さ」に対して「時間の早さ」で、
相手の「拍子(リズム)」を崩す。
時間的、空間的な支配たための位取り、
相手の攻め手を事前に封じる感覚なのかもです。
相手からすると、勝手(条件)が違うので自分の技が決まらない。距離やタイミングが合わないので、自分の力が発揮できない。
そして、手が出せない状態の相手が、無理やりに動いた瞬間を狙っていく。力を発揮できない相手の動きを利用するので、いつ技をかけるかは相手の動きだし。柔道や柔術で、投げ技が綺麗に決まるときというのは、後だしジャンケンで確実に勝つような感覚みたいですね。