カラダのことはわからない

健康・運動・食事・ダイエットの日記

覚えて忘れる

 

 

 

 

先生がいつも口にする言葉に、「覚えて忘れろ」というのがありました。


たとえば、相手が正面を打ってきたのを四方投げで投げるとします。一度目にやってみてうまくいくと、次にもそれと同じように技をかけようとするものです。


ところが、相手の体の位置や勢い、力の出し方は、最初のときと微妙に変わっています。なのに最初とまったく同じ動きをしようとすれば、無理が生じることになります。


相手の状態の変化に応じて、こちらの体の動きも、その場に最もふさわしく変化していくのが本当なのです。


ひとつの出来事というのは、その一瞬にしか存在しません。まったく同じことは二度と起こらないのです。その一瞬一瞬をつかまえて最もふさわしい対処をすれば、すべてはうまくいきます。

 

合気道修行―対すれば相和す 

 

 

 

50キロの荷物を持ち上げて投げるのは一苦労。なのに、同じ50キロの体重の人を投げる武道の技は、力を入れなくても相手が飛んでいく(正確には落下ですが)。


それは、直立している人体はそもそも不安定であり、姿勢や重心位置の変化によって自ら飛んで(落下して)いるから。“自ら飛んでいる”といっても八百長やヤラセというわけではなく、坂道の頂点で背後から突き飛ばされた人が勢い良く坂を下っていくような感じ。あるいは、プールサイドで飛び込み姿勢のときに後ろから押されるような感じ。


例えば、壁を背後にしてカカトとお尻を壁にぴったりつけた状態でお辞儀をする。すると腰を後方に引くことが出来ず、つま先立ちになって倒れそうになる。


武道の投げ技は、いかにこの不安定な状態へ持っていくかの“道しるべ(重心の導き方・具体的な方法)”なのですが、相手の姿勢や重心位置で有効な技が変わる。


突きを打ったあと、前重心な人に対してはこの技。腕を握って引っ張ってくる人(後ろ重心)にはこの技。ケースバイケースで技は用意されている。


けれど、技の練習をしていると、形や動きのことばかり考えて相手のことが見えなくなる。相手の状態を感じる余裕がなく、“形どおり行えば相手を投げられるもの”と猛進(ある意味では妄信?)してしまう。そして、成功したときの“うまくいった自分の感覚”をガイドにして同じように投げようとして、ますます相手が見えなくなる(答えは自分の状態にではなく、相手の状態にある)。


また、稽古相手の中には、“投げられたくない”“転ばされるのは嫌”“投げられたら負け”という人もいるので、前重心だからこそ掛かる技に後ろ重心で耐えようとし、後ろ重心で使う技の練習で前重心で抗うといった稽古にならない状態になっている場合がある。


そんな相手に技が掛からないことに対して、“自分ができていないから投げられない”と自信をなくしてしまっている方も多いように思われる(あるいは強引に力で技を成立させる)。


けれど、技にこだわらなければ、抗っている状態に適した動きですんなり投げられることも。相手は来ると分かっている技と違った動きに戸惑い、反応が遅れて投げられる。ただ、うまくいったからといって、同じパターンで投げようとすると相手の頭にインプットされているのでまたまた抵抗される…いたちごっこな稽古。


技の稽古(形や動きを覚える)ですから、教わった技を練習するのに適した状態(重心位置)で受けを行った方がよいと思われるのですが、「実戦で使える技なら、相手が抵抗してでも使えるはず」という考えの方もいらっしゃるようですね。

 

上記引用の「覚えて忘れる」という言葉は、養神館合気道の初代館長塩田剛三さんの先生である植芝盛平さん(合気道の開祖)の言葉です。

 

自分の動き(技)にばかりに意識が集中しているうちは使えない。忘れること(意識しないこと)で相手の動き(状態)を感じることができるということかもしれないですね。

 

“合気”とは、相手の状態(気持ち)に合わせることであり、そのために「自分のことは置いておく(我を主張しない)」…気持ち的には何をするのか忘れてるくらいがちょうど良いということでしょうか。

 

 

 

 

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