「一たす九は十である」は足算で、「一、九の十」は和算である。武道の極意は和算で、一の力で九を倒す無手勝流である。
(中略)
武道の極意書の鬼一法眼の虎の巻に、
来者即迎(来たる者は即ち迎え)
去者即送(去る者は即ち送る)
対者即和(対する者は即ち和する)
一、九、十
ニ、八、十
五、五、十
大絶方処(大は方処を絶ち)
細入微塵(細は微塵に入る)
活殺自在(而して活殺自在)
(中略)
これを鬼一法眼に教わった牛若丸は、一本歯の足駄で丹田を練り、大の男の弁慶をひらりひらりと体を交わし、一、九、十。
ニ、八、十と京の三条の橋の上で弁慶を制した。
中村天風先生 人生を走れ!―禍いを転じて福となす24の成功鉄則
牛若丸(源義経)さんの学んだ武術は、大東流合気柔術の源流という話を聞いたことがあります。そして、牛若丸は鞍馬山の天狗“今出川鬼一法眼”に「八艘飛び」などの武芸を教わったという。これは、もともと鞍馬寺に伝わる僧侶のための武術みたいです。
相手が9の力で、こちらも9の力で争うと合計で18になってしまう。合わせて10になるように力を調整する。相手が強ければ少ない力で、相手が弱ければ強い力で、足して10になるように合わせる技術が、鬼一法眼の極意のようです。この考え方は、たしかに合気に近いですよね。
ポイントは、足算ではなく和算であること。合わせて10にするために自分の力を適量用いる。つまり、自分勝手に力や技を使わないこと。そして、相手がどの程度の力を出しているか感じるのが丹田。相手に触れた腕を通して、お腹で相手の力を受け止める感じでしょうか。
一本歯の下駄で片足立ち、押された力でコマのように回転。自分で回ろうとせずに、押された分だけ回る感覚。弁慶を倒した牛若丸は、ふわりふわりと“いなす”ような戦い方だったのかもしれないですね。