円明の境地

 

 

 

あるとき、武者修業中の侍が宮本武蔵に、「先生、剣道の修行に最も大切なことは何でございましょうか」と質問したことがある。


「円明(えんみょう)」


武蔵はこう答えると、畳のへりを指して、「まず、そのへりを渡ってみられよ」といった。


(中略)


「剣道の修行にも、同じことが言える。畳のへりを渡るのはやさしい。しかし、高さが一間にもなれば、非常にむずかしくなる」

 

 

極意の話

 

 

 

日本で一番有名な剣豪で、剣術の達人“宮本武蔵”の流派は、自ら開いた二刀流剣術の「二天一流」。でも、二天一流と名乗る以前に「円明流(えんめいりゅう・えんみょうりゅう)」という流派だった期間が一時期あるそうですね。


とすると、上記で説明されている「円明」のエピソードが、流派の由来でしょうか。「過失を恐れて、臆病心に左右される」ことを「円明に欠ける」と述べられています。


数センチの高さの平均台の上を誰もが簡単に歩くことはできても、高層ビルの綱渡りだったら誰もが渡るのを躊躇う。たとえ同じ幅(条件・状況)だったとしても、「死」のリスクを意識した瞬間、途端に出来なくなる。


これは、剣術で有名な「丸木橋(丸木之法)」と同じお話(口伝)ですね。高い崖にかけられた1本の丸太の橋、剣術家が渡るかどうかを悩んでいたら、目が見えない旅人があっさり向こう岸へと渡ってしまうというお話。


「落ちたら死ぬ」…余計な先が見える(失敗時のリスクを予見できる)からこその恐怖。恐怖を意識しすぎて一歩を踏むことができなくなる。上達する(理解が進む)ほどに失敗ができなくなる状態…練習やリハーサルには強いのに、本番に弱いといった感じでしょうか?


宮本武蔵は、「円明」のことを別の言葉に言い換えて「巌の身」という表現をされてるみたいです。


「巌の身と云うは、うごく事なくして、つよく大なる心(兵法三十五箇条)」


円明とは、過不足なく怖がること。過大に恐れず、過小に侮らず。過敏に反応せず、過剰に動きすぎず。ちょうど良い加減なのかもしれないですね。